戸馳島をハイキング(熊本県宇城市三角町) その9
2012年08月13日に熊本県宇城市三角町は八代海に浮かぶ戸馳島をハイキングした時の記録。『戸馳島をハイキング(熊本県宇城市三角町) その8』の続きです。写真は下の地図でいうところの島の西側です。干拓地の堤防兼道路を渡りきった所に水門が有ります。下記の嘉悦儀三郎の干拓地にも似たような施設が有ります。
嘉悦儀三郎(かえつぎさぶろう)の干拓地を歩いてみた【2】 – KUMA TYPE
戸馳島ハイキングの全行程のGPSログとほぼすべての写真は、上のページで参照できます。
あと、自販機と売店などの戸馳島散策の際に飲み物が手に入りそうな場所をまとめたのが下記のページになります。
戸馳島 自販機・売店マップ
一応、前の記事のおさらいとしてandroidアプリの地図ロイドの画面を載せておきます。国土地理院の地図の場合、灯台の場所に灯台マークが有ります。
検索してたら、戸馳島灯台に行く動画が有りました。あの先にはこんな所があったんだなーとかなり残念な気分になりましたw。
水門のところから北西の方に小さな島が有ります。 鳥居が見えます。渡れると面白いのですけど、この記事を書きだしてから調べ物している時に、どこかで引き潮時渡れるみたいなのを見かけた気もします。
水門の内側には、何やら施設が有ります。多分排水機場でしょう。
水門の内側はこうなっています。反対側の写真と見るからに水位が違うので、海水の侵入を防いでるんだなーと干拓地であることがよく分かります。ここが壊れると大事ですね。
前の記事で、昔は田畑があるところは海だったらしいという事を書いたのですが、古地図を探してみたのですが、ちゃんとしたものは見つかりませんでしたが、下記サイトに有る「天草全島名勝交通鳥瞰図」に描かれている戸馳島と思われる島が、ちょうど水門の当たりになにもなくて湾の中まで海水で満たされている様子が描かれているように見えます。ただ描かれた年代が干拓が行われた時代より後なのであれですけどw。ちゃんとした古地図がみたいですね。東京なんかだと古地図が豊富で羨ましいです。スマホのアプリにもあって、昔ここはどんなところだったか見れたりして面白いです。各都道府県で出して貰いたいものです。まちおこしにもなるし。まあ、逆に見られると困る場合もあるんでしょうけどね。
東京古い地図 – Google Play の Android アプリ
前回の記事に島の南側に片島というと地名が有りましたが、昔干拓が行われる前は、湾だったわけで左右に島が分かれてたので「片方の島」という意味で片島だったのかなーとか想像してみると面白いです。
謎の建築物。バス停のようですが、時刻表もないですし、ゆうすずみ会とかおや子のつどいとかの手作り感のある張り紙がしてあります。単なる掲示板かとも思いましたが、後々分かる情報などを総合すると、スクールバスの停車場である事が想像出来ます。
そういえば、戸馳島の地図をさんざん見ていて学校が全くないことに気が付きました。昔、原チャリで戸馳島を走った時に、小学校か中学校を見た覚えがあったで、おかしいなーと思い調べてみました。
宇城Blog様の記事が興味深いです。かつて戸馳大橋は農道で車以外は通行禁止だったので歩道がないとか、私の疑問がひとつ解決しました。あと戸馳小学校は平成17年に廃校になったそうです。ここにも過疎化の波が押し寄せてきてるのですね。どうりで地図に学校が載ってないはずです。現在は宇城戸馳学習センターとして利用されているようです。私の20年以上前に1度来た時の記憶もまんざら間違ってなかったようです。記事中には学校の場所が記されてなかったので探すのに少し手間取りました。ネットで検索すると古い住所が出てきますが、現在は市町村合併で住所が変わっているので、そのままGoogleMapで検索しても場所がわかりませんでした。番地は変わってなかったので古い住所を現在の住所の形式に合わせて変えてあげると出て来ました。小学校の位置がわかると自分の記憶と総合した上で色々な記憶が蘇ってきました。戸馳郵便局の前のT字路を右に行った記憶が有ります。戸馳大橋をわたって直ぐを右にいったのか、あやふやでしたが戸馳郵便局前のT字路だったのだろうと思います。それから、戸馳神社について前はこんなじゃなかった気がすると、前の記事に書いていますが、ネットで戸馳島の事を検索していると戸馳稲荷神社のことが度々出てきます。最初は戸馳神社(若宮神社)と区別がついていなかったのですが、どうやら別の神社であること、場所を調べて見ると戸馳小学校があった場所のすぐ側であることを考えると、私がかつて訪れた神社は戸馳神社ではなく戸馳稲荷神社であった可能性が高いと思います。今にして思えばそんな気がします。下記ブログ様の戸馳稲荷神社の記事中の神社の写真を見るとなんとなく見覚えがあります。またひとつ疑問が解決しました。
話を戻すと、戸馳島から学校が無くなったことでスクールバスの停留場が出来たのだろうと推測するわけです。戸馳島の子どもたちは、現在は戸馳島の外の学校に通っているのでしょう。最初の方の記事にあるサル出没の看板がついていた建物もスクールバスの停留場かなと後で思うわけです。
スクールバス停留所から少し進んだ所に、この建物が有りました。小屋から太いパイプが伸びていて籾殻らしきものが噴射されていました。小屋の中に脱穀機がありお米を脱穀しているのだろうと思いました。久しぶりにこういうのを見かけると懐かしい気持ちになります。
小島の前まで来ました。鳥居が見えます。住吉神社のそばにある風流島(ははれじま)を思い浮かべました。
住吉神社と住吉灯台まで行ってきた時の記録【4】 – KUMA TYPE
波止場の先まで行ってみました。すぐ手が届きそうな所に島があります。桟橋でも掛けておみくじでも置いて恋愛成就の神様とかいって宣伝すれば、観光地になりそうな気もしますw。不安定な桟橋をカップルで渡れば、吊り橋効果で恋愛成就間違いなしとかいったりしてねw。
波止場の先から、これから進む先を見ました。これまでになく家がたくさん見えます。内潟という地域になるのでしょうか。工程の3/4程は来たように思います。が、しかし、この後更に寄り道します。地図を見ていると龍神社が気になって仕方がなく、かなり疲れてきていましたが行って見ることにしました。地図ロイドで高度50m~60mとわかっていましたが、(等高線数えてもそうですが)そこからぐるーっと回りこんで更に山を登らなければならないのはかなりおっくうでした。それに今思えばそこまでいったのなら、戸馳稲荷神社まで足を伸ばせばよかったとも思います。でも、その時は戸馳稲荷神社の規模がどのようなもので、どのような場所かわからなかったので、あきらめました。歩きなので時間もなかったですから。島の真ん中を通っている道を抜けて戸馳郵便局まで行ってみたい気持ちもあったのですが、歩きで時間と体力の余裕がなかったことと、今回は戸馳島を一周することが目的だったので断念しました。またいつかオートバイか原チャリを手に入れたら行ってみたいですね。
よく見てみると、戸馳島と維和島の島の間に太さ40cmの海底送水管が埋設されているらしいです。水道があるんですね。戸馳島の水事情はどうなっているのかちょっと気になります。ところでこの水はどちらからどちらに送っているんでしょうね?普通に考えれば陸地に近い戸馳島から送っているのでしょうか?
ちょっと歩いた所で自動販売機を発見。飲み物を補給しました。自動販売機を見つけると嬉しいです。 マルイ鮮魚店さんの自動販売機でした。
更に進むとバス停のような場所がまたありました。スクールバスのりばなのでしょう。
そしてその先に…。もしかしてあれは文明の利器…コンビニでは!?
戸馳島でコンビニを発見して感動。もしかして戸馳島唯一のコンビニでしょうか?汗でびしょびしょだったので店内に入ることはしませんでしたが、外から戸馳島のコンビニを堪能しましたw。 Yショップはしぐちさんです。
ジュースもタバコも買えますよ。郵便ポストも有ります。何か食べ物買いたかったのですが、汗だくだったので遠慮しました。 GPSのログを見るとコンビニの回りをウロウロしてますね。不審者ですw。
そして、龍神社のある山のところまでやって来ました。この道を真っ直ぐ行くと龍神社のある山です。
龍神社のある山の麓まで来ました。ここを右に行けば龍神社に行けるはずです。
まあこれが結構な坂道なんですよ。そして苔むしていて滑りそうなので怖いです。上りは上りがきつくて斜めにジグザク歩いて登り、下りは滑るのが怖くてジグザグに歩いて降りました。
お社の横に更に上に登れそうな道が続いていました。かなり険しい坂で、夏場なので草が鬱蒼としていたので登りませんでした。
そこから外界を眺めたところです。広大な70ヘクタールにも及ぶ農地です。昔は海だったところだと思うと感慨深いものがあります。ここに龍神様の社があるのも昔は周りが海だったからでしょうね。
上までは登りませんでしたが、登り口に「苓北火力線一三四号」 と杭が打ち込まれていました。
龍神社を後にした私は、その後、道を適当に進んで内潟地区に行きました。
三角漁業協同組合戸馳支所があり、ちょうどいい事に自動販売機がありダカラを購入。そして座ってくださいとばかりに椅子まで置いてあるので、ちょっとおじゃまして勝手に休憩させて頂きました。この時すでに午後5時を回っているので、だいぶ焦り始めています。日も陰りはじめているので、もうそろそろ人気のない所は歩きたくない感じになってきています。
GPSのログを見ると分かりますが、この辺りまで来て少し進んだ所で引き返しています。地図を見るとそのまま行けそうではあったのですが、写真だとわかり難いですが、だいぶ黄昏れてきて心細くなってきていたのと、この民家が密集しているところを抜けた後、急に人気のない細い山道の様になって来たので怖くなったのと、こちらからだと遠回りになるので、時間も時間だしさっきここに来るときに見えた大きくて立派な方の道を通って行こうと思ったからです。元々大きな方の道を通ろうと思っていたのもあるので、単に道を間違ったとも言えます。道を引返す時、各家々が「そろそろ晩御飯ですよー」とオーラを出していて懐かしい気持ちになりました。都会だとそういうのあんまり感じませんけど、こういう田舎の民家が密集した場所だとそういうのをひしひしと感じます。夕食の時間が大体夕方で揃っているからでしょうか?都会だと食事の時間なんか職業も様々なので時間がバラバラですからね。
ちなみに、写真を見ても分かるようにこの辺りは未だに汲み取り式便所が主流らしく、夏場ということもあって、かなり懐かしいかほりがしていましたw。
そして、立派な道の方にでて先を急ぎました。立派な道路ですね。さっき通ってた細い道は旧道でこちらは新道なのでしょうか?
途中に細い道と合流しているところが有りました。あのまま進んでいたらここから出てきたのだろうと思いながら撮影しました。少し寂しそうな道なので大きな道を通って来てよかったと思いました。時刻はちょうど午後5時30分です。
立派な道はT字路にぶち当たり、そこを右に進むと大きな分岐点が有ります。GPSのログを見ていただくと分かりますが、島の北西に向かう所で鋭角に曲がって進路をとっているところがあります。そこで、もう暗くなってきたので戸馳郵便局の方に抜けて帰ろうかと思案しました。この時午後5時40分です。時刻もそうですが、雲行きも怪しくなっていました。地図を見ても島の周辺を回るとなると、まだかなりの距離が残っていました。でもまあ、この山道さえ抜ければポツポツ民家も有りそうだし暗くなっても大丈夫そうなので、そのまま行くことにしました。上の写真は大きな道を外れて折り返し、島の北西に続く下の道に入ったところです。
ポツポツと小雨が降ったり止んだりする天気になって来ました。本降りにならないといいなーと思いながら、黄昏時に寂しい山道を一人歩きます。
途中に深緑の水を蓄えた池がありました。心霊特集に出そうで怖いです。こんな時間に一人で訪れる場所ではありません。
次が多分ラストかなー?
『戸馳島をハイキング(熊本県宇城市三角町) その10』へ続きます。