父が胆嚢炎で入院した。入院用にUQ WiMAXに契約してみたりした。
父が、胆嚢炎になって数日某病院に入院することになったので、UQ WiMAXに契約してみました。 どちらかと言うと今回の入院の件を忘れない内に記録しておこうという意図です。UQ WiMAXの件はおまけです。
また、某病院のスタッフの方、執刀医の先生、診察していただいた先生方には、大変お世話になりました。この場を借りて心よりお礼申し上げます。
2014/09/05(金)
午前5時頃、突然母の起こされる。父が胃が痛いと言っているのでちょっと来てくれといわれた。朝になって母を病院に連れて行く時間で起こされたのかと思っていたので、ちょっと寝ぼけながらついていった。後で思うと寝たのが午前3時過ぎていたと思うのでほとんど寝ていない状態。
茶の間に行くと父が、ソファーに横たわっていた。具合がわるいのかよくわからない。母に話を聞くと、夜11時頃に、焼酎を少し飲んでちくわを食べたらしい。ずっと後で聞くと味噌汁でご飯も食べたらしかった。
父は特にのたうち回っているわけではなかったが、話すのは辛そうな感じだった。しばらく様子をみながら、どんな感じ聞いたり、母とどうするか相談した。
大丈夫そうな感じもしたが、色々話を聞いていくと、3時頃から痛み出したらしく、汗がだらだらとでて止まらないので何枚もシャツを着替えたらしい。その情報がでてきて、やっぱりちょっとまずいかなと思った。
母は様子を見ればいいのではないかと思っていたようで、父が夜中に食べたり飲んだり暴飲暴食したせいだと思った様で、苦しむ父に更に追い打ちを掛けるように「夜中に飲んだりくったりするからとだ」とキツく言葉で責めつづけていたので、それを止めたりしながら、父の様子を見ていた。父に朝まで我慢できるかを何度か聞きながら様子を見ていた。
体調が良くなったり悪くなったりしているようで、大丈夫そうなことを言っていたが、逆に安定している今のうちに救急車を呼んで病院に行ったほうがいいのではないかと、考えていた。こういうのは後で、やっぱり楽になった時に病院に行っておけばよかったということになりがちだからだ。
汗は止まったけど寒いらしくタオルケットを持ってきて掛けてあげたりしながら「10段階でどれくらい痛い」と聞くと7と答えたので、これはやっぱり病院に行ったほうがいいなと思った。
朝まで我慢できるか何度目かに聞いた時に、「いかんかもしれん」と父が言ったので、ああ、これはもう救急車を呼ぼうと決めました。
母に、「じゃあ呼ぶからね」と119に電話した。
救急車を呼ぶというのは呼び慣れてないと、最初はかなり躊躇しますが、幸い前にも東京にいるときに呼んだことがあったので落ち着いて呼ぶことが出来ました。
住所と、誰が具合がわるいのか、どこが具合が悪いのか、いつから悪いのか、意識はあるか、ご近所は誰かなど聞かれ、ご近所の件だけ母に代わってもらい。来ていただくことになった。
数分後に救急車はやってきた。
母は大慌てで病院に行く準備を始め、私も行ったほうがいいかと聞くとそうしてというのでそのつもりだったが、よく考えてみると後で、なにか持って行ったり、自動車で迎えに行くことも考えなければいけないので残ることにした。又は病院が決まったらすぐに自動車で追いかけることにした。
既に救急車のサイレンが聞こえ始めた頃に、父がトイレに行きたいと起きだした。私は、(え?もう救急車そこまで来てるのに?もしかして元気になった?電話で救急の人に動けないって言ったのに大したことなかった?ちょっとまってよー、救急の人に迷惑かけちゃったかもー、トイレ早くしてよー、救急の人もう来ちゃうよー)などとちょっと焦りながら、父がトイレを済ますのを待った。内心トイレの中で倒れたりしなだろうかと心配して隙間から覗いていた。トイレから出てきた父は、「ちっと、よかごた」とか言って出てきたが、もう救急車きてるから……。
救急隊の方々が到着して、玄関のところに来ると、父がよろよろと自分で歩いて、土間におりて自分で救急隊の方に歩いて行った。救急隊の人は最初は父が歩いてきたのでわからなかったようで、よろよろしているのを見て対象者だとわかったようで、救急車の方に連れて行かれた。母も一緒に後ろから救急車に乗った。
私は、救急車の外でまっていた。病院が決まったら出発するとのことで感覚で20~30分くらいその場にとどまっていたかと思う。
で、道路の左右から、やじうま共が数人やって来るのが見えてうざかったので家に入ってドアを閉めたら、家までやってきて引き戸を開けてたばこをプカプカした煙草臭いおっさんが何事かと聞いてきた。(タバコくせーうぜー帰れよ)と思いながらも応対して、「父です。胃が痛いと言ってます。」とつっけんどんに返した。
その後もどっかのババアがやってきて「だれ?どがんした?」と玄関の引き戸を普段開けない方のものが置いてある方を勝手に開けて覗き込み質問してきた。(うわー何やってんのこのクソババーうぜー帰れよ)と思いながら「父です胃が痛いと言ってます。」と冷ややかに返答。
ババア「どこがわるかと?」(゚∀゚ )
私「病院にいかんとわからんです。」(〃*`Д´)
ババア「何処の病院に行くと?」(゚∀゚ )
私「わからんです。」(〃*`Д´)
ババア「え?主治医はおらんとね?」(゚∀゚ )
私「こんな時間に開いてると思います?」(〃*`Д´)
ババア「長男さんね?」
私「はいそうです。」(〃*`Д´)
ババア「あんたんおってよかったねー」
私「いや、よくはないですけど」(〃*`Д´)(まだ、どんな病気かもわからないのに何いってんの?)
と冷ややかに返答した。マジでムカついた。このデリカシーの無さは何なんだろうか。
野次馬が去った後、しばらくしてもまだ救急車がいるので、救急車のところに戻り、中を覗いていると、父が寝ていて母が横に座っていた。母はたまに家の方を見ていたので私が何をしているのかと思っていたのかもしれないが、私が後から見ているのを気づかないようだった。
救急の人が病院が決まったら行きますと言っていたがその後、病院が決まり出発した。
私はあまり寝ていないので、後で迎えに行くことを考え寝ることにした。布団には入っていたがなかなか寝ることが出来なかった。というかねれなかった。
何度か電話がかかって来ていた。父の携帯と家の電話に何度かかかってきていた。うざいので出なかった。だいたい誰だか想像がついたし、やじうま共から情報が回ったのだろう。私は寝なければならないのになんでこの人達はデリカシーとか気を使うことが出来ないのだろうかと呪った。
少しうとうとした思ったら電話がかかってきたりと、寝そびれて寝れなくなってしまった。元々寝付きはいい方ではない。
2014/09/05 06:13。
母から電話で病院に付いて検査をしれいる間にでも電話くれたのだろう。行ったほうがいいかと聞いたが今はいいらしいので後でまた電話するといって電話を切った。
2014/09/05 08:34。
母から電話で、病気は胆嚢に石があると事らしく、要するに胆石らしいとのことで、点滴して少し落ち着いたらしいというだった。今日は帰れるので迎えに来られるか聞かれもちろん行くので行けると答えた。国道3号を走っていったが寝不足で走るのにはちょっと怖かった。
出かける前にも、近所のおばさんに話しかけられて引き止められた、「お母さんどうしたとね?」
「母じゃないです父です。」「胆石らしかです。」よく知っているおばさんなのでつっけんどんにはしなかったが、何度か電話おかけたが出なかったといわれた。「寝とったけん」答え、「今から迎えに行ってくるけん」と話を早々に切り上げ、出発した。「どうやら野次馬から間違ったの情報が広まっているらしい」
8:40頃からでかけ9:16分頃に病院に到着した。
病院に行くと、ロビーで私を見つけ母が私を呼びに来た。父はロビーの椅子に座っていた、両親は知り合いにあったらしく、話をしていた。早くしないと駐車場代がかかるのになーと思いながら話が終わるのを待っていた。
結局、駐車場代はかからなかった。
その日は、家に帰って明日また行かなければならないとの事だった。とりあえずは原因もわかって一安心といったところ。
私も私なりにやらなければならないことが色々あるので遅れた分を作業したりしながら、なんとか夜中に寝ることが出来た。
父が何度も夜中に起きているのがわかった。寝ている時のうめき声や階段を昇り降りするときに漏れる声から辛そうだなと思った。
後で聞くと少し熱が出たらしく、母が夜中にポカリスエットを買いに行ったらしかった。私がビッグバン★セオリーを見ながら馬鹿笑いしてる時に。
夜、私が作業中に父がやってきて、「明日病院に行くから今日ははよ寢らなんぞ」といわれたので、むかついて「こっちだって早く寝たいよ!」と言い返した。好きで遅くまで起きているわけではない。しかも、病院に迎えに行ったり昨夜は寝てすぐに起こされたりで作業を散々妨害されている。まったく、お願いするならまだしも自分の都合しか考えていない。うちのオヤジには困ったものだ。
2014/09/06(土)
08:40頃から出かけて09:15頃に病院に到着。CTやらMRIやら血液やらの検査をするらしい。暇なのでタブレットでメルクストーリアなどをして遊ぶ。
土曜日なので病院はガラガラでロビーは閑散としている。両親を病院の入口でおろして、私は車を駐車場に入れてから来たので、最初病院に入る方法がわからなかった。病院横のレストランの方から入るのが正解だった。
昼時に父の検査を待つ間、病院内のコンビニで塩焼きそばやサンドイッチなどを購入して、休憩所で食べた。平日は弁当の販売もあるらしく、障害者が販売サポート(製造も?)する弁当屋が出るらしい。(翌々日そこで弁当を買って食べた。)
検査の結果、先生から説明があり、
既に胆嚢炎の状態で有ること、ネットで検索してもわかりますが、胆嚢炎とは、胆管に胆石がつまり、胆嚢に細菌が繁殖して炎症を起こした状態です。
胆嚢炎 – Wikipedia
肝臓と胆嚢の基礎知識: 肝臓と胆嚢のしくみと働き: メルクマニュアル 家庭版
選択肢として、
- 初回発作なので、抗生物質で症状を押さえる。
- 今なら救急で来たので72時間以内なら緊急手術扱いで手術ができる。
- 72時間を過ぎたら一ヶ月後などの定例の手術になる。
- 抗生物質で様子を見る場合、抗生物質が効かなかった場合は、チューブをさして定例の手術を待つことになる。
- MRIで総胆管に石が見つかった場合は、手術できないので定例になる。(逆だったかも?)
- 抗生物質で様子を見る場合治ればそのままでもいい。(?)
- 定例で手術をする場合はその間に検査などを行って他に悪いところが無いか、手術をしても大丈夫か検査する。
- 緊急手術の場合、緊急で手術をするので、手術をしている時に何か出てくるリスクが有る。
参考までに、他の人がどんな感じでどちらを選ぶか聞いたところ、今痛くて苦しい人は、手術。今は特に痛くない人は定例を選ぶとの事。
父は、先生の説明の途中で訳の分からない質問をしたりして、話の腰をおるので先生も話しの腰を折られて説明が少しおかしくなったところがあると思う。父は人の話の腰を折るのが得意で、結果何も理解してなかったりするのでこまったものである。この間母が入院した時も先生の話の腰を折ってお陰で先生の話が理解しにくくなった。人の話を最後まで聞いてから質問するということが出来ない人である。
そんな感じで先生から説明があり、父のおかげでその時はなんだかよくわからない部分もあったりで、とりあえずご家族でご相談して下さい都のことだった。
父は、「先生のオススメで」とかのたまわったので、先生が「おすすめは出来ないです、情報と選択肢をだすだけですので選択して下さい」といった感じだった。でも、オススメは一応教えてほしいなと思った。素人だからどちらがいいかなんて判断出来ないし。
で、最初父は「じゃあ薬で」と言っていたが、私が、「またあんなつらい思いするかも知れないんなら手術して取ってもらったほうがいいんじゃない?」先生に「薬じゃ石は亡くならないんですよね?」と聞くと「炎症を押させるだけで石は亡くならないです」という趣旨のことをいわれた。まあ、あたりまえですけど。
そこで総胆管の話がでてMRIの結果、もしも総胆管に石があったら、手術できないのでその結果を見てからになるということだったのでじゃあMRIの結果だからその後決めようみたいな流れになった。72時間以内なら緊急手術ができるので明日までに決めて下さいということだった。
とりあえず、入院は確定になった。個室しか開いてないのでとりあえず個室ということになった。(本当かどうかは別として)(後にエレベータで他の人の話が聞こえてきたが、個室の人が相部屋があかないので移れないという話をしていたのでそうなのだろう。)
それからMRIの検査までかなり時間がかかった。色々時間をつぶしながら待った。駐車場が5時間まで200円でそこからは1時間毎に100円なので車を一旦駐車場から出して入れなおしてきてついでに車の中でタブレットの充電を少しだけしてきた。
MRIの検査結果は総胆管には石が無いとのことで、手術は可能ということになり、そして父は緊急手術を選択した。
MRIを待つ間に母に名無しを聞くと、最初は他の先生が見てて、薬で様子を見て手術をしたほうがいいといわれたらしく、それでそのつもりだったらしい。(そういうことを今ゆうか!)と思いながら、じゃあさっきの先生はドラマや漫画でよくある切りたがりの先生なのか!?とか一瞬思いながら、じゃあ、そうすればよかったのにと思い直していたが、父は手術を選択した。爆弾を抱えたままなのは嫌だということらしい。いや、手術するにしても薬で様子を見て他に悪いところが無いか調べてから手術という選択もできるんですけどーと思いながらも、もう、父はそう決めてしまったようなので、反対するのはやめた。
そういうわけで、緊急手術が決定。さっきの外科の先生がやってきて「手術に決めましたか!」とやってきて、言っていた。
で、その後、また採血と、CTか何か破ったような気がするがよく覚えていない。
で、手術は翌日なのかと思っていたら、もうその日にやるということになった。
15:30から3時間か4時間といわれた。
(えー帰るの何時だよー)と思った。
外科の先生に呼ばれて、手術の説明を受ける。リスクの説明、稀にガンが見つかる可能性があること、術式は腹腔鏡を使った手術になるがそれで手に負えない状態の場合、炎症で腫れて良く見えないとかそういう場合、総胆管が損傷した場合など開腹するといわれた。緊急手術の場合、炎症中に手術をすると4/1000位の確率位でそういうことが起こるといわれた。割りと高い確率だと思う。総胆管にダメージが出る場合があるとか、開腹手術の場合、変な癒着したりすると腸捻転になるリスクがあるなど。炎症が総胆管まで広がっている場合や、腫れていてよくわからない状態で傷つけてしまったり、色々原因はあるらしい。
手術の最中、や後日にそういう問題が判明することがあることなど、
合併症などがなく、経過が良ければ3日~4日で退院と言われた。手術難度自体は高くないが、総胆管が損傷した場合、腸に胆管をつないだりと大手術になる場合があるといわれた。
だいたいそんな感じ。
そして、手術の関係の書類の署名などを行い。
そして、15:30から手術。
その間に、入院の手続きなどを行なって病室で手術が終わるのを待った。コンビニで食べ物や飲み物を買って来てテレビをみたり、横になったりして時間を潰した。個室なのに今どきテレビでお金を取られるのがせこいなーと思った。個室なので、トイレとシャワーが装備されていた。Wifiくらい無いのかなーと思ったけど無かった。
バッテリーもそのうち切れてしまった。もうただ待つのみ。
母が妹に電話したり、色々あったが、18:30頃無事手術は終了。先生から手術後の説明を受ける。
- 結論から言うと上手く行った。
- 腹腔鏡の手術だけで終わった。
- 四カ所に穴を開けて腹腔鏡で手術した。(後で父の腹を見るとへそを含めてその周り4箇所に傷口がある。)
- 胆嚢は腫れてパンパンだった。ついでに言うと肝臓もパンパンだった。
- 胆嚢を肝臓から剥離する時?うらがえす時に胆管が破れた。よって悪いものが腹の中に出てしまった。
- 石がなかなか見つからなかった、胆管を摘んでも手応えが無い。よくよく探すと胆管が破れた時に腹の中に落ちていた。そこからは順調で胆管と総胆管の間をクリップで止めて手術した。
- 少し時間は掛かったが、総胆管への損傷は無かった。
- ガンの形跡も目で見た限りでは無かった。
この話から、思ったことは、すぐにでも破れそうな状態であったであろう胆管の状態を考えると、緊急手術を選択してよかったということ、どのみち入院だったとは思うけど、薬を選択したり、もしかすると変に我慢して今も家にいたりなど、ヘタなことをして家で胆管が破れていたらと考えるとゾッとする。
今では当たり前なのかもしれないけど、よく昔マンガなどで見かけた、腹腔鏡という開腹しない体にダメージが少ない手術をほうほうだったりで、この病院で良かったと思った。あまり病院の選択肢はないのだけれど。
何にしても、早く救急車を呼んでよかったと思ったことと、その後、1週間後とかではなく、すぐ次の日に検査してくれて、手術まで行ったことが良かったと思う。結局救急車で来たことが緊急手術につながってるので、変に我慢して主治医のところに行かなくてよかったと思う。
その後、部屋に戻り、父が帰ってくるのを待った。父が帰って来る少し前に、看護士の方が見えて、患者さんがもうすぐ帰ってくるので待合室でお待ちくださいといわれたので、部屋をでてすぐ横の待合室で待っていた。
母がコーヒーが飲みたいと行ったので、さっき手術の説明を受けた2回にコーヒーの自動販売機があったので、そこで買ってくると行って買いに行くといった。「こぼすど?(こぼすんじゃない?の意)」と母にいわれたが、蓋が付くやつだったので「蓋がついてる」といって買いに行こうとしたが、もしかして父がすぐ来るんじゃないかと思って母に聞いてみたが、まだかかるだろうというので買いに行ってきた。
コーヒーを買った帰りに専用のエレベーターから父が運ばれてくるのを見かけた。母にお父さん来たよと伝えて、呼ばれるまでコーヒーを飲みながら待った。
看護士の方に呼ばれて、部屋に行くと父は一応麻酔から覚めて意識は合った。多分意識が戻るまでは部屋に戻ってこないのだろう。
まだ、もうろうとしていて、自分がどういう状態で何処にいるのかわからない状態だった。麻酔も完全に切れていないようでろれつも回っていない。酸素マスクをしているのとろれつがまわらないので何を言っているのかよくわからない。
「ここは何処?」「石はどうなった?」みたいなことを聞いているようなので、手術はうまく言ったこと、石は取れたこと、手術を選択して結果的に良かったことなどを話してあげた。その時は頷いていたが、後でまた同じようなことを聞かれたので、意識がはっきりしていなかったようだ。
なんとも痛々しい格好だったが、明日はだいぶマシなのだろうと思いながら、見ていた。頻繁に痛いと言っていた。麻酔が切れてきたのだろう。
酸素が低いらしく、肺が弱っているようなので、もうタバコは完全にやめないとねと話している。本当にやめるかどうかは怪しいものだが。
途中何度もマスクを外そうとするので、看護士の方の呼んだら、鼻に差し込むタイプに変えてくれた。それならかなり楽になったらしい。
多少熱があり、看護師さんがしばらくして水枕を持ってきてくれた。それまでは、ティッシュのようなものを水に濡らして代わりにした。
腹から液を出すためのチューブが出ているため、コンビニに腹帯を買いに行ったりと色々しながら時間をつぶす。
本人は今まで大した病気もしたこと無く、丈夫だったのでかなり心細かったらしく、私と母が帰るときには寂しいと言っていた。
私と母が帰る頃には、まだ苦しそうではあるが、ろれつも多少回ってきてもう帰っていいよと言っていた。
面会時間は過ぎていたが、個室なので何時でもイイですよと言われたいたので、21:00前に帰りますと、ナースセンターに一声掛けてから、病院をでて21:30頃に家に着いた。つかれた。
それから、軽くご飯をたべて、仕事を始め3時頃にできるとこまでやって寝た。
2014/09/07(日)
手術の翌日なので行かないわけにも行かず。と言っても私にナニができるわけでもないが、母を病院に連れて行かねばならないので運転手として行かなければならない。母も車の運転はできるが道がわからないのと交通が激しい熊本市内まで行くのは怖いらしい。実際私でも怖いし気持ちはわかる。そういうわけで私が運転するしか無い。
11:30に病院に付いて17:30頃に病院を出ている。
この日は、まだ父も昨日に比べれば良くなったものの、まだ、色々手がかかる状態で、リハビリを始めないと肺炎になるよと外科の脅されながら、リハビリの先生と一緒に廊下を歩きに行ったりしてました。治すためにご飯は一生懸命食べてました。元々糖尿もあるのですが、血糖値が高いとのことでインスリンを打たれたりしていました。点滴のブドウ糖のせいかもしれません。
前日の夜、入院中父が回復してきたら退屈だろうと思い、タブレットが使えるようにしてあげようかと思いました。まずは手持ちのDTI Simでどうだろうかと思いましたが、どうやってもyoutubeは見られないので、これはダメだと諦めました。DTI Simでyoutubeを見る方法自体はあるみたいですが、そんな裏技的な方法を父に実践できるわけもなく、普段通りの使い方で使えるようにしてあげないと無理なので、断念しました。
次にWiMAXです、使わなくなったUload-8000とUload-Homeが余っているので、これが使えないかと思いました。それぞれSo-netとBIC WiMAXで契約したものですが、UQ WiMAXでちゃんと使えるかが疑問でした。それに、一度解約してからその端末で再契約という手順をフンだことがないので、やりかたもよくわかりません。
一応ネットで調べておきました。
特に難しいことはなく、契約していないモバイルルーターでネットに接続しようとするとWiMAXのページに飛ばされます。そこで、契約の画面に進んで画面のとおりに契約すれば終了です。
そして、電話でフリーダイヤルに掛けてメールで送られてきた開通コードを入力するだけです。
これで開通して使えるようになります。簡単です。
実際に部屋に電波が入るかわからなかったので、Uload-8000を持って行ってその場で契約することにしました。
Uload-8000の電源を入れるとオレンジが点灯したので、緑ではないものの一応使えそうということで父に、
私:「お父さん、退屈かろけんタブレット見るね?」と聞いたら
父:「見らるっとかい?」というので、
私:「見るなら、見らるーごてするけん」
父:「見る」
ということで、その場で契約。ポケモンキーボードも持ってきていたので、特に入力がめんどくさいこともなく問題なく契約完了。
(ああ、難なくネットに繋がる都会っていいなー)
そして、私もNeuxs 7で帰るまでWiMAXでネットにつないで遊んでいました。
父用のmomo9加強版を充電用のケーブルに接続して父の側に置き暇な時に見てと言って置いておきました。
ちなみに速度は3.8Mbpsしか出ませんでした。オレンジランプですからしょうがないですけど。
帰りにジョイフルによってご飯を食べようと、母が言うので上りの道が混んでいるし日曜なので気が進まなかったが、寄った。
禁煙席に座りたかったが、ほぼ満席状態だった。店員さんに禁煙席と喫煙席どちらにするかを聞かれたが、母が勝手に喫煙席にいったのでしょうがなくついていった。めちゃくちゃ煙草臭くて帰りたくなった。平日はそうでもないのにその日はものすごくタバコ臭かった。
しかもDQNファミリー達がバーベキューでもしに行った帰りなのか、端のテーブルを陣取って騒がしかった、そんなに大声で話さな無いといけないのかと思うほどの騒がしさで、母が参っていたが、それよりも私はタバコの臭いのが嫌だった。だから、禁煙席がいいのにまったく。よく考えて行動してくださいとお願いした。
DQNファミリー・グループのガキがフロアを走り回って騒がしいは、まだ小さい子供を抱えてドリンクバーの氷でスコップ持たせて掘らせてたりとか、やりたい放題だった。
母はいつも平日に行った時のガラガラで静かなイメージで行ったらしく、そのギャップにかなり萎えた感じだったが、そもそもファミレスはそういう層がよく行くところだし、私はしょうがないと思ったが煙草臭いのだけはガマンならなかった。平日に何度か行ったことがあるが平日は喫煙席でも全く煙草臭くないのだが、しばらくジョイフルには行きたくない。
まあ、禁煙席に移ればよかったのだけれども、そもそも、喫煙席よりエリアの狭い禁煙席は満席ぽかったので聞きもしないで諦めたというのが正直なところです。
最近のファミリーマートDQN土下座強要事件を見かけて、なんだかジョイフルでのことを思い出した。
2014/09/08(月)
前日、明日まで来てくれといわれたので、しょうがないのでまた行くことになりました。自分のことが全然出来ません。仕事受けてなくてよかった。儲からないお小遣いみたいなやっすい仕事といえども、やっぱり無責任なことはできませんし。
10時頃でかけ10:40頃到着、15:30頃に帰って来ました。
病院内のコンビニの前に弁当屋が出ていたので、そこで弁当を買いました。ナニかいわれたけどナニをいわれたのかわからなかったので、聞き返したら、「お持ち帰りですか」といっているようだったので「はい」と答えた。その時ああそういえば障害者の方が販売サポートしてるって書いてあったの先日見たなーとピンときた。ちなみにスタミナ弁当を買いました。部屋に戻って父の食事時に一緒に食べました。スタミナ弁当とあって量は多かったけど、正直あんまり美味しくなかったw。
特に特別なことがあるわけでなく、母や父の世話をして、父は母に甘えてあれをしろこれをしろと色々言っていた。まったく、この世代の男性はワガママだなーと思った。
家に帰ったあと、なにか、パンツを何枚か持ってきてくれと言っていたらしいが、さすがに疲れたし、やることも溜まってるし、どうせ明後日退院でまた迎えにいかないと行けないのにと、さすがに怒って断った。私が毎日遊んでいると思っているらしい。
2014/09/09(火)
この日は病院にいかなかった、疲れたのか体がだるかったが、溜った作業をした。病院で風邪でも移されたのか、風邪気味な感じだったのでジキニンを飲んでしのいだ。
夜まで明日退院かわからないと状態だった。
「明日も無理してこなくていい」と言っていたらしいがどうせ退院だろうと思ったら、やっぱり退院になった。
2014/09/10(水)
退院。10時まではつくようにとの事なので、9時半頃に着くように言った。父は声は出にくいものの、かなり元気になっていた。割と普通に歩けるし、点滴やくだなどは全て取れていた。
看護士の方から、費用や説明やお薬の説明を受けてそのまま退院となった。ナースセンター前でお世話になりましたと言って、帰途についた。
あまった腹帯を、コンビニに返品して(つかわなかったものは返品できると聞いていた。要レシート)、入館証を返して駐車場台を生産した。
帰りは何処にもよらずそのまま帰ってきた。父はどこかで美味しいものを食べて帰りたそうだった。(もうかい!)
かえって最初にやったことはUQ WiMAXの解約。
UQ Flatは月額4267円で、7日に契約で10日に解約で3日か4日分の使用料に契約解除料2000円をプラスした金額が利用料となりました。
解約時には解約理由などを聞かれましたが、「必要なくなったからですが、細かい事を言うと、父が入院中に利用する為に契約しました」と説明した。
その他料金の説明などをされましたが、全て承知のうえで契約しているので特に疑問もなく終了しました。
解約の電話はBIC WiMAXの時と違って、あまり待たされることなく直ぐにつながりました。対応の丁寧さはどちらも同じでした。
帰ってからしばらくしてやってきて、階段の手すりが緩んでいるのでネジを締めるのを手伝わされました。自分が病気をして弱っている今、はじめて手すりの大事さがわかったのかもしれません。
取りえず晩御飯も食べて父も元気そうです。もう数日すればまただいぶ回復していると思います。もう、仕事の事を考えているみたいで、まだ早いよと、母と一緒に止めましたw。
さっきやってきて、「あれどこやった?」と行ってきたので、タブレットを渡しました。私のお下がりのmomo9加強版ですが、いい加減もっさりなので、もう少しいいものをその内買ってあげたいと思います。
父も何とか無事帰って来たので、できれば長生きしてもらいたいと思う。
っていうか、できることなら先に死にたいw。
タバコはやめると言っているが、その気持がいつまで続くことやら見守っていこうと思う。
おまけ
病院の廊下のアクアリウムのグッピーとか。
そういえば、レオ、レオ日記で書くかもしれないけど、父が手術した日、朝から出かけてまさかの夜遅く帰って来たので、不安だったようで、家に入るなり二階から降りてきて、ダイニングでご飯食べている私に何やら苦情をニャゴニャゴと述べて、二階に帰っていったw。
その翌日もちょっと遅かったので、いつもはタンスの上なのが机の横のかごに入っていたり、夜寝るときは私の足の間に入ってきてしばらく寝ていた。寂しかったようだ。
病院に行く前も、降りてきて出かけるまで側にいたりした。母がいるときはいつも近くに来ないのに、それも構わず居たのでやっぱり置いて行かれるのが不安なようだ。私がいない時に何をしているのか気になる。