熊本県宇土市長浜町笠瓜を目指してハイキングに行ってきた その2

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そういうわけで前回の続きです。

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モノレールのレールと向こうに麓の民家が見えてきました。

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また農業用モノレールの貨車とエンジン部分を目撃。エンジン部分には風雨を防ぐためのカバーがかけてあるようです。

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網田の町に近づいて来ました。網田は大きく分けて上網田町と下網田町と呼ばれます。今見えている範囲は上網田になります。写真だと遠くの方は建物なのかビニールハウスなのかよくわからないです。


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手入れされている畑は見栄えが良く風景としても美しいので、ついつい目が行きます。

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見通しのいい気持ちのいい道です。向こうにある小屋はなにか畜産をしているらしく近くを通るとそういう臭がしました。

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田平と呼ばれる地区のすぐそばまでやって来ました。

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田平のお宮だったかな。子供の頃この辺りには友達が何人かいたのでここで遊んだ記憶があります。板張りのところでトランプしたりしたように思います。

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桜か栴檀かわかりませんが綺麗に花が咲いてました。

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田平を抜けて新地の方に向かいます。

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多分左が大岳で正面が雄岳(めたけ?)だとおもわれる。田平近辺から撮影。

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今通ってきた道を撮影。田平地区。

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田平と新地をつなぐ道、山を削って向こう側とつながる道を作ったようだ。

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新地に抜けたところ、新地とは新しい地という書いて字のごとくの意味で、昔は海だったところを農地にした巨大な干拓地です。別の機会に紹介しますが、昔この土地の庄屋である加悦儀三郎が農民のために巨大干拓事業を行った結果です。遠くに島原が見えています。手前にある畑が干拓地で昔は海だったところです。

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新地の住宅地を抜けて三角線の踏切を渡り国道57号線に出るところです。地図を見ると天草街道とあります。いつ頃からこの名前になったのでしょう?子供の頃は聞いたことが無いです。この踏切を通るのも20年以上ぶりな気がします。

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踏切のところから三角方面を撮影。

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こちらは宇土方面。左に小田医院が見えます。今は隣に介護老人保健施設が隣接しているようです。私が前にこのあたりをと通った時には施設はありませんでした。医院は昔は違う名前の病院で、前にも書いたことがありますが、20年以上も前に風力発電と電気自動車を導入していた病院がありました。

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小田医院の前で撮影、病院の建物は昔と同じですが、横に昔はなかった小屋みたいなものが建っていてテナント求むとなっていました。誰か借りてあげて下さいw。母にここは前は何をやっていたところか聞いたのですが忘れましたw。
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消防署が見えます。干拓地と線路の間を走る道は真っ直ぐで見通しもよく気持ちがいいです。菜の花が線路沿いにいっぱい咲いてました。消防署は私が子供の頃はなかったと思いますがいつ頃できたのでしょう。

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線路から山のほうを撮影したところ。私が今歩いているところは最初方の地図で見ると赤い線がまっすぐになっている線路沿いのところで、新地という青い字があるあたりです。写真に見えている山よりずっと向こうの山奥をぐるっと回ってきたわけです。
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宇城消防署網田分署と看板にあります。

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畑です。全部干拓地です。一番奥に堤防があり海水の侵入を防いでいます。別の日にその堤防沿いを歩いたのでそのうち記事にしたいと思います。

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真っ直ぐな道をどんどん歩きます。もう結構バテバテでした。向こうに見える山の辺りが小松と呼ばれる地区です。あの山の端っこ辺りが干拓地の端っこで、そこを過ぎると地図を見てもわかるように、道路沿いは海になります。

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菜の花が綺麗でした。

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線路沿いにずっと菜の花が咲いています。モンシロチョウやモンキチョウがいっぱい飛んでいました。都会ぐらしが長くなると田舎の何を見ても新鮮で懐かしいという変な気持ちです。

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海の釣り堀の看板があります。別の日にどんなところか見ました。元々昔から大きなため池みたいなところがあって、子供の頃はよく釣りに行きましたがそこが釣り堀になっているようです。過去にも何度か釣り堀になったりしたように記憶しています。

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ローカル線が通りすぎて行きました。通常1両か2両編制です。

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端午の節句も近いので立派な上りが上がっていました。都会ではあまり見かけませんがこちらの田舎では今でも5月には立派な鯉のぼりを見かけます。

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大分の犬飼いまで137Kmとの石碑が建っていました。あとで気づきましたが一定距離ごとに立っているようです。もちろん昔はありませんでした。なぜ、大分の犬飼いが起点になっているのかも不明w。

しらべてみた。地図を見たら国道57号線の端っこが大分の犬飼だった。なるほど知らなかった。57号線は熊本市内近くの3号線にぶるかるところで終わりだと思ってたw。

国道3号線と57号線は、熊本では(もしくは私の中では)東京都で言う国道20号線(甲州街道)や246号線くらいメジャーな国道ですw。

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小松地区の道端でいきなり団子のお店を発見。へー本当に名物なんだ。私がいきなり団子の存在を初めて知ったのはケロロ軍曹の「愛のいきなり団子」の回でした。いきなり団子とか聞いたことねーとずっと思ってました。いつの間にそんな名物できたんだよと。しろくまというものもいつの間にやら名物になっていましたし、そういう思いもあって最近母に聞いてみました。

私「いきなり団子っていつの間に名物になったの?そがんと昔からあったと?子供の時聞いた覚えなかばってん?」

母「昔からあったとばってん、最近なんかしらんけどまた流行ったったい。昔はさつまいもだけ入れよらしたもんね。今んごてあんことか入っとらんで質素な感じだったとたい。」

私「なんで、いきなり団子っていうと?」

母「いきなり作らすけんたい」

私「意味わからんw」

私・母(笑)

こんなやりとりが実際にありました。

そういうわけで、家にもいきなり団子があったので初めて食べました。美味しかったです。

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探したらいきなり団子の画像遭ったので載せておきます。中には甘さ控えめのあんことさつまいもが入っていてさっぱりした甘さの美味しいおまんじゅうです。ボリュウムは結構あって一個食べると結構お腹が膨れます。

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小松の踏切までやって来ました。もう少しでスタート地点まで戻れそうです。

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小松のカーブのところにあるこの廃墟。ここは昔は下の動画にあるようなオートレストランとまでは行かなくても、たくさんの自動販売機が置いてある場所でした。ここは下の動画にあるような、ハンバーガーの自動販売機やカップヌードルの自動販売機やポップコーンの販売機などがあり、私がハンバーガーと呼ばれるものを初めて食べたのは多分ここに置いてあった販売機で売られていたものがそうではないかと思います。久しぶりに見たら影も形もなく寂しい気持ちになりました。この建物の裏から干拓地の堤防が始まっています。横の道から自動車で堤防沿いを走ることができますが、道は狭いのですれ違いは大変です。

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隣にはドライブインがあります。ここは昔からドライブインでした。私が子供の頃はドライブイン長浜という名前だったと記憶しています。入った記憶なく1度だけ入ったことがあるような気がしなくもないというそんな感じです。

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現在はふるふるという名前のようです。中がどうなっているのか営業してるのかもよくわかりませんが、すごく中が気になりますw。お近くをお通りの場合は是非お立ち寄りの上感想を教えて下さいw。

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その隣にはうどん屋です。ここも色々変わってるみたいです。

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ここからは道路の向こう側は有明海の海です。向こうに見えているのが長浜町です。

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道路の向こうは有明海。この時は引き潮で干潟が見えています。遠くに見えるのは長崎の雲仙です。原爆が落ちた時にはこちらがわから光やキノコ雲が見えたと聞きます。

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有明海の干潟です。あさりやはまぐりやマテ貝などが取れ、のりの養殖が盛んです。昔は今ほど厳しくなく割と自由に一般人もあさりを取ることができましたが、今は漁業権で厳しく管理されています。このへんは第一種共同漁業権が設定されていると思うのでアナゴをとりにいっても大丈夫だと思ってるんだけどどうなんだろう?

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このへんは昔は堤防もテトラポットもなくて道路脇は砂浜になっていましたが、久しぶりに見た海辺はご覧のとおりになっていました。堤防は私の身長以上あり道路からは海が見えません。

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ご覧のとおり馬鹿高い堤防ができて道路からは海を見ることができなくなっていました。昔はこのあたりの海沿いには、露店がポツポツと並んでいてあさりやはまぐりを売っていました。たまに観光帰りの車などが止まってあさりを買っていくという光景が昔はよく見られましたが、現在はなくなってしまったようです。私も子供の頃自分で捕ってきたあさりを知り合いの露店で一緒に売らせてもらったことがあります。初めて熟れたときはとても嬉しかったのを覚えています。小学生の頃です。

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寂れた長浜駅前のバス停までたどり着きました。
昔は道路の反対側には旅館が立ち並び、潮干狩りの客で休みの日には賑わっていました。今でも少しは潮干狩りのお客が来る旅館があるみたいですがほとんどはやめられてるみたいです。

調べてみるとこのあたりのあさりは昭和53年辺りをピークにどんどん数が減り取れなくなって行き、一時期はほとんどとれなくなったようですが、現在は再生するための活動が色々おこなわれていて徐々に漁獲高は上がっているようです。

そういうわけでほぼスタート地点まで戻ってきたので、今回の「本当は傘瓜で折り返して来るはずだったハイキング」はミッション・コンプリートです。

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