熊本県宇土市長浜町笠瓜を目指してハイキングに行ってきた
長年の都会ぐらしと不摂生の結果、最近はあまり体調がよくなかったのですが、田舎に帰って来て、実家の野菜中心の食生活と両親の趣味と実益を兼ねた家庭菜園を手伝ったりして体を動かしたり、近くの温泉に行ったりしてスローライフをここ2ヶ月半ほど送った結果、だいぶ体調が良くなってきたと感じています。空気はいいですし、関東にいる時のように水質や放射の汚染で心配する必要もあまりありません。前は寝転がっていると起き上がるのに体の節々が痛んで起き上がるのも億劫でしたが、だいぶ改善した感じがします。坂道をちょっと登ってもゼーゼー息切れがしていましたが、最近は比較的楽です。
熊本県宇土市長浜町笠瓜に行くこのハイキングというかウォーキングは衰えた体力を取り戻しつつ健康増進と久しぶりに自然を肌で感じたり、最近はこのへんなはどうなっているのか知りたいという探究心からでかけました。この時は2012年4月16日でまだ、田舎に帰って間もない頃のために体調もあまりよくなく体力も衰えていてかなり上り坂が辛かったです。麓から山に入る最初の坂の傾斜が結構あり、ゼーゼーと息切れしては立ち止まり休んでまた歩くを繰り返しながら登りました。ちょっと心臓止まるんじゃないかと思いました。あまりの体力の衰えに情けなくなります。
長浜町の西側の山の入口
長浜町には大きく分けて西と東の2つ、山の入口があります。どちらも自動車で走ることができますが、道幅は狭いです。
ウォーキングのコースは子供の頃の記憶を頼りに適当に歩いたので、後からキョリ測で歩行距離を測りました。大雑把に線を引きましたが大体9キロ強あるようです。笠瓜の海抜はだいたい200メートルほどのようです。近くに高山という305メートルの山の山頂があるようですが、私は登ったことが無いです。機会があればいってみたいですね。
西の入り口の坂は急で昔は車の馬力がないのでこの坂を登るのに時々難儀している車がいたのを記憶しています。ここでのマニュアル車での坂道発進は緊張しそうです。トラックの荷台に乗ってこの坂を登るとジェットコースターに乗って最初の坂を登っていくようなそんな気持ちになったものです。写真正面の谷間になっている部分は雨が降ると小さな滝のようになっていましたが今もそうなのでしょうか?一応下はコンクリートで水路が作ってあるようでした。
有明海と長浜町の街並みが見えます。
だいぶ登ったところ、途中畑仕事の人など何人かの人と挨拶を交わしました。
左が大岳で右が雄岳ではないかと一瞬思いましたが、位置や標高からして笹山方面かなと思います。
大きな貯水槽がありました。死体が沈んでたりするんじゃないかと妄想してみたり。
見晴らしいいです。でも自分がどこにいるか正確にわからないので、見えている山がなんという山なのかわからないのです。GPS付きのタブレットとか持ってればGoogleMapを使って簡単にわかるんだろうなーとか思ったりしてました。
このあたりまで来るとほとんど人と会いませんでした。車も通りません。子供の頃はカブトムシを取りに来たり、アケビ(地元ではうんべと言っていた)を取りに来たりただウロウロするためにと遊び場の一つでした。一つ山を超えると今度は少し下りになってまた暫く行くと登りになるといった感じになります。ずっと上りだと思ってましたが、歩いてみるとそういえばそうだったなーと少しずつ思い出しました。記憶というのは結構いい加減なものです。
大きな溜池を発見。ああいうのを見つけると、つい中を覗きたくなります。
そこら中にみかんた畑がいっぱいです。そういえば帰省してから聞いた話で驚いたのは最近山にイノシシが出るそうです。子供の頃はイノシシが出るなんて話は聞いたことがありません。じっさいいなかったらしいのですが、最近どこからかやってきて増えたらしく、たまに畑を荒らされたりするらしいのです。最近は田舎は過疎が進んで農業をする人が減ったのでそれだけ自然がよみがえっているのでしょう。そういえばニュースで、九州では絶滅したはずの熊が熊本や宮崎や大分の県境あたりの山で目撃されたというのを見ました。本当だと嬉しいですね。やっぱり自然が戻ってきてるのでしょうか?熊本と言いつつ熊がいないのもアレなので本当に見つかるといいですね。いまはくまモンしかいませんからね。
asahi.com(朝日新聞社):九州の野生クマ絶滅のはずが…大分・宮崎県境で目撃情報 – 社会
みかん畑がいっぱいです。網田はネーブルが有名です。ネーブル美味しいですよね。最近はデコポンとか言うのもあるらしくいつの間にやら色々品種が増えてるんだなーと思ったりします。デコポンも美味しいです。ザボン・はっさく・夏みかんと昔ながらのものも色々あり、子供の頃はみかん類ばっかり食べてたような気がします。
みんながみかんばっかり作るから、価格の下落などもあって大変な時期もあり一時期廃れたなどの話も聞きますが今はどんなふうになっているのでしょう。
昔はよくひのきを植えてましたが、今はどうなんでしょう。ここは手入れされてなさそうですね。子供の頃はよく祖父の畑のひのきの枝落としをさせられたものです。通販で有名な高枝切りバサミとハシゴを使って結構な高さの枝落としをさせられました。祖父が生前「この木が大きくなったら将来お前が家を立てると時につかっていいぞ」とかいってました。まあ、私が家を立てることはなさそうですw。父が定年後に趣味で立てた小屋の一部などにはなっているようです。
ほとんど笠瓜の近くまで来ました。笠瓜は今でも民家が幾つかあります。私の親類も住んでいるとかいないとか、傘瓜までキョリ測で測ると麓から3キロちょっとありました。こんな山の中になんでこんな集落があるんだろうと子供の頃よく思いました。落ち武者が作った隠れ里だとかいう話を子供の頃に聞いたことがあるような気がしますが本当かは知りません。興味があったら調べてみてくださいw。笠瓜という名前の由来は笠を逆さにしてそこに瓜を入れて偉い人に献上したとかなんとかで笠瓜という名前になったみたいなことを子供の頃に聞いた気がしますが、これも本当かどうか知りませんw。
傘瓜を通り過ぎたところにある竹やぶです。実家に帰ってきて今年はタケノコをいっぱい食べました。ここ10年ほどはまともにタケノコを食べた覚えがありませんでしたが、もう毎日タケノコだらけで、飽き飽きするほど食べました。美味しかったです。いろんな人が家に持ってきてくれるのでタケノコだらけでした。何かが旬の時期にはその食物がいろんなところからいただけるのが田舎のいいところでしょうか。ほとんど物々交換の世界です。野菜や果物、魚介類、はたまた何かの関係で安くてに入った食品など様々です。人の行き来が多いのでちょっとプライバシーはない感じです。個人のプライバシー重視の関東から久々に帰ってきたので人の出はいりが多くて面をくらいましたが元々そうだったのでまた慣れました。
立派な竹やぶです。最近は農業する人が減ったせいか竹やぶも広がってる様な事を聞いたような気がします。
この辺りの木が鬱蒼とした場所でウグイスなどの鳥の声をボイスレコーダーで録音してみました。
開けた場所にでました。海が見えます。海の手前にある丘っぽいところは、地域では島山と呼ばれているところです。映画「まぼろしの邪馬台国」で御輿来海岸を撮影しているシーンのロケ地になったそうです。
正面遠くに普賢岳が見えます。てっぺんの方が平成新山でしょうか。晴天で気持ちが良かったです。全く人とは出会いませんでした。
みかん畑の中を走るこのレールは収穫したみかんを運ぶためのモノレールです。いたるところにありますが子供の頃はこのレールの上を平均台の様に歩いて遊んだり、ゴンドラ部分を人力で引っ張りあげて上から乗ってみたりなどして遊んだことがあります。良い子は真似しないで下さい。
だいぶ下まで降りてきました。地図で言うと上網田町田平や引の花近辺の山道になります。
最初の方のキョリ測のリンクにアクセスすれば同様に見ることができるはずですが、把握しやすいように、広域地図画像を加工してまとめてみました。歩いたコースが赤い点線で辺りの地名を青い字で追記し山名を赤丸で囲いました。これを見れば写真とその説明でどのあたりか大体わかると思います。
段々畑と遠くに雲仙岳。晴天で辺りは日当たりもよく歩いていて気持ちのいい道でした。
立派な段々畑です。上まで行ってみたくなりましたがさすがに疲れ始めていたのでやめました。本当は笠瓜で折り返すつもりでしたが、気の向くままあるいてかなり遠回りした感じです。私の人生と同じでいきあたりばったりですw。
モノレールのゴンドラと機関車部分を発見。黄色いカバーが掛けてある部分がエンジンです。
長くなりすぎたのでその2に続く
参考になるサイト
宇土市の里山2 笹山、島の山、高山 – Mishanの山歩き – Yahoo!ブログ
懐かしい田舎の写真に遭遇して、見いってしまいました。母方の田舎が笠瓜で、父方が田平なんです。
笠瓜の入り口って、昔のまんまです。小学校の頃の夏休みは一月は笠瓜で過ごしていました。祖父から聞いたのは、笠瓜は平家の落ち部者の部落で、天皇陛下様がここを通ったときに、何もお出しするものがなくて、笠に瓜を入れて差し上げた、という話でした。
確かに、名字を調べたら武士の血筋でした。
コロナで中々移動できませんが、お写真を拝見して懐かしく祖父母のことを思い出したした。
ありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます。
丁度10年ほど昔の記事になりますが、個人的にはつい最近の事の様にも思えます。
まだこちらに帰って来たばかりの頃の記事ですね。懐かしいです。
コメントを頂いて久しぶりに見返してみましたが少し懐かしかったです。やっぱり記録を残しておくのはいいですね。
10年の間にかなりこの辺りはさらに過疎っています。うちの親もですが、趣味で畑仕事する人も高齢でほとんどいなくなったのではないかと思います。
数年前に行ってみたときは笠瓜への道もかなり痛んでいました。大雨や熊本地震の影響もあると思います。
道幅も狭く大きな車ではなかなか行けない場所になってました。