戸馳島をハイキング(熊本県宇城市三角町) その10
2012年08月13日に熊本県宇城市三角町は八代海に浮かぶ戸馳島をハイキングした時の記録。『戸馳島をハイキング(熊本県宇城市三角町) その9』の続きです。湿地の脇を抜けて南野崎地区に入りました。時間があれば島森養殖場の方まで行ってみたところです。が、この時既に時刻が、午後5時50分を回っているので先を急ぎました。
戸馳島ハイキングの全行程のGPSログとほぼすべての写真は、上のページで参照できます。
あと、自販機と売店などの戸馳島散策の際に飲み物が手に入りそうな場所をまとめたのが下記のページになります。
戸馳島 自販機・売店マップ
また、海岸線に出られて一安心。左側に灯台のある島が見えます。地図で確認してみると寺島という島のようです。寺島の左手前にある小島が兜島だと思われます。
波止場で釣り人が何人か釣りを楽しんでいました。そして、ここで雨が本降りになってきて振られます。 むむ、どうしたものか。
天の助けか、ちょうど波止場の前の空き地にスクールバスのりばがあり雨宿り出来ました。ここには「スクールバスのりば」と明確に書いてあり、今までの同じような場所がスクールバスの停留所だと判明したわけです。下の動画での最後に雨宿り中の映像が有ります。
バス停の中から波止場を眺め「夕立だといいなー」と思いながら、雨が止むのを待ちました。
雨にもめげず釣り人は釣りを。そのうち一人の釣り人がバス停の中にやってきて、雨宿りしながら断りもなくタバコを吸い始め、雨が弱まるとタバコをポイ捨てしてまた釣りに行きました。熊本県民の民度どこいった(‘∀`;)。くまモンブームに甘えてるとそのうち痛い目にあうよ。
雨脚は強まるばかり(絶望)。まあ、疲れたのでゆっくり休憩しようと思いました。携帯電話をモバイルバッテリーで充電しながら待ちました。この時午後6時4分。疲れているのでお腹はそんなにヘリませんでした。
この港は地図にも名前が載っていないのですが、スクールバスのバス停内に張られているこの張り紙に「三角小学校スクールバス(野崎漁港バス停)」とあったのでこの漁港の名前がわかりました。そして、戸馳の子どもたちは今は三角小学校に通っているのですね。どうでもいいけど時計の時刻ずれてますね。サマータイムですか?
雨がやんだので、先を急ぎました。 約三十分程雨宿りをしていました。思ったほど時間のロスをしなくて済み、調度良い休憩になりました。携帯電話も充電出来ましたし。野崎漁港前の広場の片隅に記念碑が有りました。なにか書いてありますが、「日本語でOK」です。よくわかりませんが、佐伯嘉市という人が大正10年にこの地で初めて漁業に従事して、以後後輩の育成に努められたとか、岬の反対側の田井之浦漁港が貯木場になったんで昭和48年に漁港をここに移したとか書いてあるようです。私が子供の頃三角町の海には沢山の丸太が浮かべてありました。その事を思い出しました。昔、日本の林業が盛んだった頃、三角町も林業が盛んだったのでしょう。
夕立が去り、道路はまだ濡れていますが先を急ぎます。また降りだしたら困るなと考えていました。
石碑に刻まれている文言。昭和37年に三角中学校と統合して廃校になった様です。随分昔ですね。なんてことを書いてますが、この石碑が建てられたのが平成3年と書いてあり、ついこの間だ、とか一瞬思いましたが、よく考えているともう20年以上前だったりすることに気がついて愕然としたりします。平成になってもう25年目なんですね。
石碑の周りはこのようなっています。広い空き地の隅にこの石碑は建っていました。遠くに寺島と灯台が見えています。
更に詳しく見ると寺島と兜島があり、その間遠くに小寺島があります。その向こうの大きな島は大矢野島や維和島です。いい眺めです。小島がいくつも浮かぶ海は見ていて楽しいです。
三角港の方が見えてきて、もうちょっとでゴール的な気分になって来ました。遠くに見えているのは三角の山かと思いましたが、実際には大矢野島の飛岳の様です。
地図上でも確認できますが、山沿いの道と海沿いの道が並行して走っていて、海側の道を歩いて来ました。 山の根に建てられた民家と巨木がいい味出しています。
民家が多くあり、中には時代を感じさせる建物も有ります。また、ここにも過疎化の波を感じます。
岬を折り返した所で海峡の向こうに三角の町が見えるようになりました。遠くに海のピラミッドがまた見えるようになりました。そしてこの建物が目につきました。時刻表が有り、ベンチもあって何かの待合室のようになっています。
町営交通船時刻表とあります。町営の海上バスが運営されているようです。戸馳大橋が出来る前や戸馳大橋を人が通行できるようになるまでは通勤・通学・買い出しなどの通行客で賑わっていたのでしょう。本数も半分に減って改定の時刻表は紙の張り紙になっていてさみしいですね。張り紙には「博洋丸」野崎~三角港時刻表と書かれているように見えます。博洋丸で検索するといくつも記事がヒットしますので興味のある方はどうぞ。
運航開始から37年 人々の日常を支え続ける「博洋丸」|週刊メールマガジン『気になる!くまもと』
海の向こうに三角の町が見えます。やっとここまで来たって感じです。 午後6時40分。何度か両親から電話があり、父方の実家が近くありお盆で近くまで来ているので迎えに来るとのこと。自分としては自力で三角線にのって帰るところまでがハイキングなんですけど、かなり疲れていたのと、時間も時間で余り心配も掛けたくないので渋々承諾。海沿いを歩いて行くので出会った所で拾って頂戴、ということになりました。
北野崎の海沿いを歩いて行きました。途中海に出られる様になっているところが有りました。水陸両用車があれば、いろいろ捗りそうだなと想像しました。頭の中ではボンドカーのロータス・エスプリを思い浮かべていました。
GPSログを載せた地図を見ていただくと分かるのですが、この海辺の道は途中で道が途切れているんですね。出かける前から地図で下調べして知っていたんですけど、「ここ道が途切れてるけどもしかして行けなかったらぐるっと回って戻らないといけないのかな?実際には橋とか掛かってないのかな?」と思っていました。でもやっぱり海沿いの道を行きたかったので賭けで行っていました。それがここです。道が途切れてます。あれれー。
船が沈んでました。
向こう側にはまた道が続いています。ここに橋をかければ色々捗るのになんでかけないんだろうと思いました。でも、GPSログを見ての通り少し迂回するだけで向こう側に行けたので良かったです。
先に進むと造船所が見えて来ました。株式会社 篠﨑造船鉄工所の様です。子供の頃から遠くに見えるこの造船所の事が気になってました。ホームページに求人が出てました造船所で働きたい人はお問い合わせ下さい。
北野崎のハズレの民家が立ち並ぶところを抜けて造船所の方に進みます。
その先には巨大なクレーンが3機あり、迫力ある壮大な眺めです。
造船所の入口に自販機があったのでここで造船所を見学しながら、最後の休憩をしました。 もうかなり暗くなって来ました。
造船所にいるときにも親から電話が掛かってきて、今造船所にいると居場所を教えたのですが、その後もなかなか逢えませんでした。海沿いを歩いているといってるのに、変なところを移動していたみたいで、すれ違いになったみたいです。そして、造船所の先は少し山道になっていてこのような暗い道を一人歩くことになります。怖いわー。
カーブの所で電灯がついていたのがありがたかったです。光量が足りなくて画像にノイズが乗理始めています。
坂を登り切ったところの先の社会福祉法人東康会福祉ホーム花の島こちょう苑の門で撮影した写真。この写真の場所はT字路で、私は写真の左から来て右に進みました。
そして、今度はまた辺鄙な山道を下って再び海辺に出ました。人気もなく暗くて海辺に出るまではちょっと怖かったです。造船所の反対側に出た感じです。また、海辺に道が続いていてそこを進みました。ちょっと辺鄙なところです。ずっと海辺を歩いてこれるわけではなくて、山を登ったり降りたりしたので思っていたより戸馳大橋が遠いです。しかし、遠くに微かに戸馳大橋が見えて来ました。ゴールは目前です。迎えに来るはずの親は来ず。図らずしもハイキング継続中なのでした。この時午後7時8分です。
左の雲に隠れているのが三角だけですね。右の鉄塔の建ってる山は地図を見ても名前がないのでなんという山なのかわかりません。
先の方に集落が見えて来ました。後はあの岬を回っていけばゴールは目前です。もう登り坂は無さそうなので助かりました。もうかなり疲れていて、あの岬を回るのが億劫で仕方ない気分でした。今見えている集落が田井ノ浦地区だと思われます。昔ここにあった漁港が南野崎に移されたのでしょうか?確かに私が子供の頃は戸馳大橋付近には丸太が沢山浮かんでいた多様な気がします。
田井ノ浦地区までやって来ました。あの岬を曲がればもうすぐです。っていうか迎えに来るっていう話はどうなったんでしょうね?
はい、田井ノ浦地区の先の岬を曲がるところです。戸馳大橋が見えて来ました。もう辺りは暗くなって電灯が付き始めていました。写真も拡大すると分かりますが光量不足でノイズ乗りまくりです。
桟橋に立派なボートが沢山繋がれています。レジャー用のボートに見えなくもないですが、漁をする船でしょうか?
こちら側は港がない分桟 橋が多いようです。海峡なので波の心配もなく、桟橋で十分なのかもしれないですね。
そしてついに戸馳大橋のすぐ側までやって来ました。右の奥の方にかすかに見える明かりが私を迎えに来た車の明かりです。結局出会えなくて色々走ったけどわからなかったので、ここで待っていたとのこと…。なんでやねん。そういうわけで幸か不幸か、ほぼ自力で戸馳島一周することが出来ました。GPSのログが途切れているところからは車に乗ったのでその先は省きました。この写真を撮影した時刻は午後7時22分です。
これで戸馳島ハイキングの記録は終わりです。この時行けなかった所に、いつか行けたらいいなと思います。
サービスエリア|UQ WiMAX – ワイヤレスブロードバンドで高速モバイルインターネット
それから、戸馳島は昨年9月からほぼ全域がWimax対応エリアになったので、なにげにインターネットの利用環境は良くなってます。恨めしいですw。どの程度使えるのでしょうね。
後1時間で3月になるので私はWimaxを辞めますけどねー。(※引っ越してWimaxエリア外になったのと3月が更新月なので)