嘉悦儀三郎(かえつぎさぶろう)の干拓地を歩いてみた【1】
2012年6月13日に長浜駅前からスタートして上網田町にある干拓地を歩いてみました。この干拓地は江戸時代末期に嘉悦儀三郎(かえつぎさぶろう)という宇土郡網田村の庄屋が開発し1857年(安政4年)に完成しました。何度か決壊してしていますが、改修して現在のコンクリート製になりました。
地図でいうとこの辺りです。
地形的に言うと、昔は上の図の様に海だったと思われます。少なくとも線路の西側までは海だったのは間違い無いです。
昔は海沿いに堤防はなく道路からそのまま砂浜につながっていて、台風が来たりすると海から道路や車に波がかぶっていましたが、いつの間にやら私の身長より高い堤防ができていました。車からは全く海が見えなくなってしまっていて少しさびしい感じがします。
2メートルくらいの立派な堤防と消波ブロックが整然と並んでいます。
海沿いの真っ直ぐな道路ですが、立派な防波堤で海が全く見えません。長浜という地名のように昔は長く美しい浜があったに違いないと思いますが、現在は埋立地と防波堤で見る影もありません。
古代の遺跡を思わせるような変わった形の消波ブロック。きっと人類が滅びた後に発見されて、なんて神秘的な物体なんだと次の人類に思われるに違いない。
干潟の向こうに雲仙岳が見えます。方角的には北です。
東には金峰山が見えます。
何やら熱帯地方の植物がいっぱい生えています。あそこはドライブインがあるところです。
結構な広さです。子供の頃はこういうところでよく野球をやりました。
キッチンカフェふるふるの裏側です。その向こうにいきなり団子のお店があって、その向こうが干拓地になります。
キッチン&カフェふるふる – 熊本市その他/ハンバーグ [食べログ]
海から登るところに出ました。朽ち果てた海水を貯めるための水槽がありました。ちゃんとしていれば、潮が満ちるたびに新鮮な塩水で満たされる仕組みです。道路から車でそのまま海に入れるようになっている場所が所々にありますが、そういうところには大抵あります。あさりの塩抜き砂抜きのための水を汲むのに重宝しますが、防火水槽の役目もはたしていたと思います。本来は防火水槽なのかもしれません。
小さなクラゲが沢山打ち上げられていました。夏にはもっと大きなタライくらいの大きさのクラゲが沢山打ち上げらます。
沖まで続く道です。漁民がアサリなどを捕りにトラックでそのまま沖に行くためにあるコンクリート製の道路です。もちろん潮が満ちて来ると海に沈みます。
ここから海を上がって右に行くとそこはもう嘉悦儀三郎の干拓地です。
道を進むと再び国道57号線にぶち当たりますが国道57号線に出ないで、そのまま右に行くと、干拓地の堤防沿いを歩く事ができます。正面の廃墟は、昔自動販売機コーナーだったところです。いわゆるオートレストラン的なところでした。コンビニなどが無い時代に、カップヌードルの自動販売機やハンバーガーの自動販売機、ポップコーンの自動販売機などがあり、この辺りではなかなか買えない物が売ってあるナウでヤングな場所でしたw。もっとも、今でもここから半径4キロ内にはコンビニが1件しかありませんけどw。
国道57号線から正面を見ても立派な廃墟になっていました。さびしい。
キッチンカフェふるふるの看板。むかしはここ、ドライブイン長浜という名前でした。
再び国道から海のほうを振り返ると、右手に先ほど上がって来た海へ続く道と、左手に干拓地の堤防沿いの道に続くが道見えます。
ここからが海を遮っている堤防とその上を走る道路です。丁度ダムの上を走る道路みたいな感じです。一方通行ではなかったと思いますが道幅は狭く車のすれ違いはかなり困難です。
嘉悦儀三郎(かえつぎさぶろう)の干拓地を歩いてみた【2】につづく